今回は少し長くなります。

そして今まで書かなかった
球と粒のことも少しだけ。





東日本大震災の時
私と7にゃんは自宅で震災に遭いました。

大きく揺れるケージをささえながら
「だいじょうぶだよ」
そう猫たちに言いました。

住人が大勢避難していく中で
私はすぐに「避難しない」と決めました。

ーこの子達を置いていかないー

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2019年の今日
“病気の粒と球がいるわが家の防災について”を書きました。



昨年の今頃は
コロナの情報が広がりはじめた頃で
わが家はすでに
極力家から出ない選択をしていました。

まもなく近所の
大型ショッピングモールが休館になり 
そのなかにある“8猫かかりつけの病院”でも
通常診療ができなくなりました。

雨の日も風の日も
館外での受け渡しをして
ひとりで診察室へ連れて行かれ
検査が終わると
また館外でおむかえするという毎日。
 
体調を崩していた球にとっては
それがどんなに辛かったろう。

わが家にとっては
そんなことを思い出す時期でもあります。

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今まで書けずにいましたが
球がお洋服を脱いだのは
ごはんが食べられなくなり
インスリンをうてなくなったことによる


ケトアシドーシス


お互い辛く苦しい強制給仕

それが球にとってどうなのか
自問自答しながらの日々を思い出します。

それでも“きっと元気になる”と信じ
3人8脚でがんばっていました。

球の体力が落ちていき
その日の球の体調に合わせて
薬の量を変えなければならない
点滴が欠かせなくなり

本来往診はしていない病院なのに
球のために往診してくださいました。


ー 球ちゃん、またあしたね ー


球が先生と会ったのは
それが最後でした。

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それからまもなく
元気だった粒が急激に体調を崩しました。

できる限りの検査をお願いし
球の時に最後まで迷い
行かなかった
セカンドオピニオンにも
行きました。

お腹の中にたくさんの影があり
腫瘍だろうとの判断で
原因究明と検査治療をしましたが
検査の結果が戻ってくる前に
お洋服を脱いでしまいました。

粒がお空の遠足に行き
一球に癌がみつかったあと
粒の検査結果が戻ってきました。


細菌性腹膜炎


腫瘍でもFIPでもなく
重度の腹膜炎でした。

元々お腹が弱い子だったので
もっと早く詳しく調べていたら
今でもそう思わない日はありません。

球がお洋服をぬいで
2ヶ月後のことでした。

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昨日は粒がお洋服をぬいで
ちょうど半年。

粒と球がいなくなって
はじめてむかえる3月11日。

 粒と球が糖尿病で
インスリンが必須だったわが家の
猫との災害についての条件は変わりました。


〜 インスリン(冷蔵) 〜
〜 注射に必須のアルコール綿 〜
〜 低血糖時のためのブドウ糖 〜

これらは確保する必要がなくなりました。


でも、それが悲しくて淋しくて


朝晩8時の注射の時間になると
ふたりが呼びに来ていたのを
毎日毎時思いだします。

少しずつ受けいれているけど
はじめてむかえる3月11日が
こんなに苦しいとは
思いませんでした。

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糖尿病の療法食は
今でも買い続けています。

もちろん
美味しいごはんもお供えしているけど
ふたりが好んで食べていた
療法食はかかせないよね。


姿は見えないけど
きっといつもそばにいると信じて。




世界が平穏でありますように




つ〜ちゃんまるちゃんのかわいい動画





2016年3月11日




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