今回は少し長くなります。
そして今まで書かなかった
球と粒のことも少しだけ。
東日本大震災の時
私と7にゃんは自宅で震災に遭いました。
大きく揺れるケージをささえながら
「だいじょうぶだよ」
そう猫たちに言いました。
住人が大勢避難していく中で
私はすぐに「避難しない」と決めました。
極力家から出ない選択をしていました。
まもなく近所の
大型ショッピングモールが休館になり
そのなかにある“8猫かかりつけの病院”でも
通常診療ができなくなりました。
雨の日も風の日も
ひとりで診察室へ連れて行かれ
検査が終わると
また館外でおむかえするという毎日。
体調を崩していた球にとっては
それがどんなに辛かったろう。
わが家にとっては
そんなことを思い出す時期でもあります。
今まで書けずにいましたが
球がお洋服を脱いだのは
ごはんが食べられなくなり
インスリンをうてなくなったことによる
ケトアシドーシス
お互い辛く苦しい強制給仕
それが球にとってどうなのか
自問自答しながらの日々を思い出します。
それでも“きっと元気になる”と信じ
3人8脚でがんばっていました。
球の体力が落ちていき
その日の球の体調に合わせて
薬の量を変えなければならない
点滴が欠かせなくなり
本来往診はしていない病院なのに
球のために往診してくださいました。
ー 球ちゃん、またあしたね ー
球が先生と会ったのは
それが最後でした。
それからまもなく
できる限りの検査をお願いし
球の時に最後まで迷い
行かなかった
セカンドオピニオンにも
行きました。
腫瘍だろうとの判断で
お洋服を脱いでしまいました。
一球に癌がみつかったあと
粒の検査結果が戻ってきました。
細菌性腹膜炎
腫瘍でもFIPでもなく
重度の腹膜炎でした。
元々お腹が弱い子だったので
もっと早く詳しく調べていたら
今でもそう思わない日はありません。
球がお洋服をぬいで
2ヶ月後のことでした。
昨日は粒がお洋服をぬいで
ちょうど半年。
粒と球がいなくなって
はじめてむかえる3月11日。
粒と球が糖尿病で
インスリンが必須だったわが家の
猫との災害についての条件は変わりました。
〜 インスリン(冷蔵) 〜
〜 注射に必須のアルコール綿 〜
〜 低血糖時のためのブドウ糖 〜
これらは確保する必要がなくなりました。
でも、それが悲しくて淋しくて
朝晩8時の注射の時間になると
ふたりが呼びに来ていたのを
毎日毎時思いだします。
少しずつ受けいれているけど
はじめてむかえる3月11日が
こんなに苦しいとは
思いませんでした。
糖尿病の療法食は
今でも買い続けています。
もちろん
美味しいごはんもお供えしているけど
ふたりが好んで食べていた
療法食はかかせないよね。
姿は見えないけど
きっといつもそばにいると信じて。
世界が平穏でありますように
つ〜ちゃんまるちゃんのかわいい動画